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社会保険労務士の昭和史

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目次

第1部 揺籃時代

厳しい労働基準行政等を背景に誕生

労務事務代行業 中小企業は大歓迎

「労基法ゴロ」と「労災タコ」

「労務管理事務所」の看板と営業マン現れる

代行業者の服装にクレーム

業者団体つくって 自主的規制に動く

夢は叶えるもの 身分法は必ず実現

報酬は3本柱で構成 経済的安定目指す

 

第2部 国家資格を獲得

立法から国会成立まで
名を捨て実を取る
木に竹を接いだ名称
労働争議不介入など3点が社労士法案の柱
社労士法施行に伴う経過措置
不正の疑い、斜線が付着した社労士選考申請書
行政書士に社労士資格付与
法定団体の設立をめざす各団体の動き活発化
社労士誕生と日本行政書士会連合会
権威ない?社労士法
統合話のはしり
再編進む業界・弱小団体の淘汰
近畿地方での確執
合併協議会再開
ついに中断、両団体それぞれ独自の道歩む

 

第3部 厚生省(社保庁)と労働省の確執

混乱招いた都の指導監督要綱案
社労士業務に優遇措置(メリット制)
労働省、大塚回答で肩すかし
社保庁からの質問書も労働省無視
労働省サイドの連合会設立へGOサイン
社労連ついに誕生
社労連と日社労の間にパイプ通じる
役員人事でつまずく連合会の門出
難産だった大阪会
両団体友好促進のための会談始まる

 

第4部 平衡時代

新規開業者のための指導センターと合同事務所
行政活用ますます有効に
次々に社会的地位獲得
大阪会加入めぐり社労連総会大荒れ
中西体制確立される
法改正意識高まる
労働条件改善指導員制度
社労連と社労士政治連盟との確執

 

第5部 激動時代

不満つのる開業者
開業者全国大会開く
社労連、日社労、全国大会を妨害?
第3勢力、中央会が誕生
社労連、日社労一本化で合意
禍根残した新団体定款
社労連と日社労が合併 全国社労士会が発足
悲願の法定団体を設立

 

第6部 社労士法の改正

第5次法改正は なぜ政府提案か

社労士制度の歴史を築いた先達の略歴
歴史がわかる 社労士制度の読む年表

 

【著:鈴木輝男プロフィール】

 昭和8年東京都北区生れ 社会保険労務士
 昭和31年、日本労働新聞社編集局入社。労務管理の専門紙「労働新聞」の記者として労働省、厚生省の記者クラブに所属。もっぱら労基法、労働安全衛生法、労働保険、社会保険などに関する情報の取材を担当。
 昭和42年、編集部次長で退職。この間、多くの労務管理士と交流、なかでも戒田集氏(日本労務管理士協会会長=社労士法の生みの親=故人)、森下稔氏(日本社会保険士会専務理事、社労士法の法制化推進者=故人)、など名実ともに社労士法の礎となった諸先生と親交を深める。
 昭和43年、社労士法の制定と同時に、戒田・森下両氏の推めで月刊「社会保険労務士界」を創刊。業界の動向、社労士の社会的、経済的地位の向上をめざすことを編集方針として健筆をふるう。社労士関係団体の統合、合併が終了する時点で同誌を廃刊。この間、わが国初の社会保険労務士試験問題集を発行、第1回の国家試験では他に類がないため、この問題集が受験者の唯一の教材として好評を博す。
 昭和43~44年、関係団体の統合を図るため、戒田・森下両氏の要望により、労務管理団体(全国に30余団体を数えた)の役員との接渉役を努める。以後、日本労務管理士協会と日本社会保険士会に吸収合併される団体が相ついだ。
 昭和46年、企画・編集、印刷を主要業務とする株式会社創新社を設立。
 全国社会保険労務士会連合会の会報「月刊社会保険労務士」の編集。社会保険手続便覧、社会保険労務士登録証票の制作などをおこなう。
 平成10年1月、東京都社会保険労務士会の会報の刷新を提言。同4月、B5判横組みからA4判縦組み、表紙カラー印刷に変貌。「読まれる会報」づくりをめざして編集協力している。